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●社会福祉協議会とボランティアの関わり
佐藤正幸
皆さんこんにちは、石巻市社会福祉協議会の佐藤と申します。本来なら、私よりベテランの社協マンがたくさんいらっしゃる中で、県内で1番ちゃらんぽらんな私が出てきたということで、いろいろ拙い点についてはご容赦いただきたいと思います。またこういう機会を与えてくださった主催者の方に感謝したいと思います。
まず私がボランティアというような形で、この社協で仕事をするようになった経緯ですが、お手元の資料にも書いてありますとおり、もともとJRC活動という、日本青少年赤十字、そういった活動のなかで出会った方々や、そういう活動を通していろいろなことが、この仕事に就きたいという自分の思いにつながったのではないかと思います。またうちの祖父が町内会の役員ですとか寺の世話役、そういったことで血統というか、血筋としてもそういうものがあるのではないかと思ってます。また私が採用されましたのは昭和57年、国際障害者年で、そのなかで国から石巻市が障害者福祉の指定を受け、その一環として、精神薄弱者の福祉作業所いわゆる授産施設、そこの事務職員としての辞令が出たわけです、たまたま当時石巻市からの委託事業というものがたくさんありまして、老人福祉センターとかホームヘルパーとかを兼務するという立場の採用で、事務局のなかに勤務するというようになったわけです。それで、そのことがボランティアとの関わりを深めたわけです。
昭和57年当時、社会福祉協議会では、ボランティアの事業がなかなか一般的に行われておらず、福祉活動専門員だった方とボランティア活動を推進するために、何かをしなければいけないのではないかということで、ボランティアセンターを設立し、そのなかでこれまで取り組んでいない事業を試行錯誤のなかでとりかかったことがあります。やはり中央で事業を行っても、なかなか市内全体には行き渡らないということで、事業を見直しまして、こちらから地域に出向いて事業を展開しようということになりました。昭和62年、ボランティアスクールを6月から8月までの3ヶ月間開催しましたところ、それを修了した方々が、これまでやったものをなんとか活用していきたいということで、自主的にボランティアグループをつくりました。それに手応えを得まして、市内各地で毎年場所を変えてボランティアスクールを開催して、その度にボランティアの方がグループをつくっていかれました。
そういった形で事業を進めているなかで、そのなかの有志の人たちが、何かみんなで集まってやろうよということでボランティア協議会が設立されました。その当時の社協のボランティア担当の私が、事務局長をおおせつかったわけです。
また私のちゃらんぽらんのところの一例ですが、私が昭和57年に採用されたときに福祉事務所の補佐をされていた方からある日「今晩飲みについてこい」とのお誘いがありまして、わけもわからずついて行きましたら、突然「おまえにBBSの事務局をやってほしい」と言われました。BBSというと一般的には馴染みのないボランティア活動だと思いますが、保護司の青年団的なボランティアグループと思っていただければいいと思います。その方は保護司も兼務している方で、この方に個人的に目を付けられて誘われだということが、個人的にも私がボランティア活動を再開するきっかけとなったように思います。ちなみにこの方が現在のボランティア協議会の会長でして、ご縁があってずーっとお付き合

 

 

 

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